白 村 江 Hakusonko
in KOREA
Part 1. 百済/Baekje July 2016
OMAYUMI Performed at the place related Ancient Baekje
photo: Hong O-Bong, OMAYUMI
KOREA 2
セマングム
防波堤
扶余郡
白村江
郡山
上 韓国の地図より。白丸辺りが白村江か
下 ウィキペディアより引用。この航空写真はおそらく防波堤ができた当初であろう。現在はさらに埋め立てが進んでいた
白村江の戦い 663年、百済国からの援軍要請を受け、倭国は千隻余りともいわれる船で白村江に向かったが、新羅と唐の連合軍に大敗した。
2016年夏、パフォーマンスフェスティバル参加と併せて2回、韓国で日韓の歴史に因む場所を旅した。
第一回目 7月
日本よりさらに強い日射しの下、まずは白村江(はくそんこう/はくすきのえ)に向かった。錦江(クムガン)河口の海がおそらくその場所である。百済の都があった扶余から郡山を抜け、港の工業地帯をひたすら車で走る。酷暑のためか、人も車も殆ど見かけない。
延々と走った後、目の前に海がひらけた。まばゆい。
この場所で、663年(奇しくも同じ夏に) 「白村江の戦い」がおこなわれたという。穏やかな海面が続く。
さらに車で進むと、小島が群れる古郡山諸島が現れた。
遠くにけぶる島々は、圧倒的にうつくしい。
幻のようにあわい輪郭が燦めいていた。
此処へ来てわかったのは、島影に隠れて待ち伏せするには絶好の場所であること。倭からの援軍は壊滅状態であったというが、倭にとって当時百済は外戚(平たく言えば親戚)の間柄だったから、助けに向かわずにはいられなかったのだろう。新羅と唐に敗れた後は、百済からの難民を多く受け入れたという。当時の親交は篤かったのだ。
この場所は現在、セマングム防波堤(上が道路)によって島と島の間が堰き止められ、干拓が進められている。開発事業にはあまり共感できそうにない。
小さな入り江で海に入った。
島の名前は巫女島(ムニャド)。シャーマンが山に住む、と聞いたけれど本当だろうか。